アジアの好奇心~KajengKliwon
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アジアに惹かれるこの感覚をネット上のメディアなども使って具体化、普遍化させるべくブログに取り組んでいる。目標300記事。

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クリエイティブシェアトーク 奈良
2014/11/11 02:10 [Tue]
category:Topics
奈良でのイベントのご案内です。
対話1、2は申込受付中です。Facebookのイベントページにリンクしています。

対話 1「接ぐ」
【ゲスト】
 西尾美也(現代美術) × 津田和俊(環境)


対話2「根ざす」
【ゲスト】
 伊川健一(農業) × 小岩秀太郎(民俗芸能)



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タグ : クリエイティブシェアトーク・奈良 小岩秀太郎 伊川健一 津田和俊 西尾美也

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踊る民族誌映像~バリ島民族誌映像上映会のお知らせ
2014/02/08 21:54 [Sat]
category:Topics
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バリ島の伝説の舞踊家ニ・クトゥット・チュニックの晩年を捉えた仁田美帆さん(映像作家)のドキュメンタリー作品『タクスゥ―魂の踊り子』の上映を中心に、伊藤俊治さん(美術史家、東京藝術大学教授)、村尾静二さん(映像人類学者)とのスペシャル・トークと1930年代の貴重なバリ島民族誌映画の上映を行います。

日時:2014年3月16日(日)16時~19時
会場:クリエイティブシェアスペース ♭(FLAT)
    大阪市東成区中本3丁目10-2
(地下鉄緑橋駅 出口3から南西へ徒歩5分)
定員:40名
会費:2,500円(1ドリンク付)
申込方法:下記アドレスへ、参加ご希望者全員のお名前と、代表者のメールアドレスをご記入の上、お申し込みください。Facebookで参加表明いただいても結構です。

<メールアドレス>
hierophanysense@gmail.com

申込〆切:3月8日 
※会場の都合により、定員に達しましたら、〆切日前でもお断りすることがございます。ご了承ください。

<プログラム>
・映画上映
2010年に推定86歳で惜しまれつつ亡くなったバリ島の伝説の舞踊家ニ・クトゥット・チュニックの晩年を捉えたドキュメンタリー。日常、踊り、そして家族。生涯を踊り子として生きた彼女を通して、世界に誇るバリの伝統文化奥深さ霊的な空気感を感じる映像詩。

『タクスゥ―魂の踊り子』 (2011年/58分)
監督・撮影・編集 仁田美帆
監修・翻訳 小谷野哲郎、絵 川村 亘平斎、映像提供 出口藍

・スペシャル・トーク&スペシャル・フィルム
伊藤俊治×仁田美帆×村尾静二
『踊る民族誌映像―映像作品の中のバリ島のダンス、身体、聖性について―』

・同時上映
1930年代にバリ島タンパクシリンで撮影されたオールネイティブキャストによる世界初の色彩映画
『LEGONG – Dance of the Virgins』(1935年/55分)
製作 アンリ・ドゥ・ラ・ファレーズ

主催:一般社団法人 ブリコラージュ・ファウンデーション

タグ : バリ島 バリ 民族誌映像 映像人類学 伊藤俊治 仁田美帆 村尾静二 レゴン

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2012.1.9 対談メモ
2012/01/28 10:49 [Sat]
category:Topics
2012年1月9日に三重県立図書館主催で開催されたフォーラムで、植島啓司先生、鷲田清一先生の対談「3.11から未来へ」が行われた。その対談の一部の覚書。
※主催者や対談者のご了解、ご校閲を得たものではありません。あくまでも個人的な覚書メモですので、ご発言の内容につきましては、聞き間違い、誤解など、正確で無い部分があることをご了承ください。

災害と日本人

植島:去年一年間、日本でいろいろな災害がありました。かつて日本大使だったポール・クローデル(Paul-Louis-Charles Claudel:1868-1955)が「世界中でこんなに災害の多い国は無い」って言ったそうですね。彼だけじゃなくて、日本に来た外国人は皆言う。そして、「なんでこんな災難の多いところに日本人は住み着いたのか」ということを言う。でも、この災難っていうのは実は諸刃の刃と考えることができる。というのは、日本には大活断層が縦断しているじゃないですか。中央構造線というのですが、これが通っているところは宗教学的には非常に意味のあるところなのです。つまり、阿蘇から高千穂、そして四国の最大の聖地石鎚山を通り、紀ノ川を渡って高野山、さらに吉野、天川から伊勢神宮を通って、豊川稲荷を抜け、天竜川を登り、諏訪、戸隠、最後に□□(?)、□□(?)にいくというルートです。
これは偶然ではなく、日本の一番大変なところに必ず神社がある。それは日本人の知恵のひとつで、今回の地震、津波でやられたところにも必ず神社があって、そういうところに神社が置かれてきた意味というのが僕はあると思っているんです。

鷲田:ほんとに見事につながっているんですね。

植島:中央構造線のルートは、熊野の神様が西から来たとき(熊野権現垂迹縁起)もそこを通ったし、神武東征もそこを通って移動した。

鷲田:そのルートが語り継がれてきたということでもあるんですよね。

植島:それもあるんでしょうね。それと、活断層というのは鉱物資源の宝庫です。鉱物資源の道でもあり、宗教者の道でもあったと。

鷲田:人間の長い歴史のなかで、そういった危険な場所が一番聖なる場所として、あるいは一番多産的な場所としてあったわけですけど、このほんの100数十年の近代社会になって、いわゆる技術が高度に発展し、逆に自然を操作するまなざしというのが、当たり前のようになったときに、実はそういうときの災害というのは、自然の地形とか条件とは別の場所で別の形で起こりますよね。
つまり今回、東京という活断層が走っていない場所でおこったパニック、カタストロフィーの状態というのは、別の意味ですさまじかったですよね。私がとりわけビックリしたのは、電車が止まると、ほとんどの人が家に帰れなくなる。いわゆるメガロポリスといわれる世界の都市で東京ぐらいじゃないかと思います。NYやパリ、ロンドンでもあんなこと起こらないでしょ。もちろんそういう都市でも帰れなくなる人はいるかもしれないけど、東京はほとんどの人が家に帰れなくなった。
今回の震災で改めて再読した中に、寺田寅彦の『天災と国防』がありますが、その中で言っているのは、災害というのは文明が進めば進むほどひどくなるということ。原始生活というか、掘っ立て小屋に住んでいるような状態であれば、倒れたらまた建てればいいし、ライフラインが整っていないから、水に困ればせせらぎの水を飲めばいい。台風のように風が強ければ、がけの洞穴にはいるとか、いくらでも対応の方法はあるけど、文明が進むと、いままでだったら危険でなかった空間まで危険になる。また、人間の神経のように、都市中をいろんなライフラインや情報網、交通網が走っているから、どこか一箇所ダメージを受けるだけで、被害がものすごく広範囲になってしまう。だから文明が進んだほうが、災害は極端に激しくなるんだと言っている。そうすると、これから何百年とたつと、新しい聖地ができてくるかもしれないということも考えられたりするわけですが、今回ね、震災の中心は東北地方であったけど、東京のあの現代社会における災害の独特のありかたというのがすごく僕は気になりました。

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植島:東京でのあの災害の事例は、今後大きな問題になると思いますね。
都市型の災害が一方にあるとすると、日本の一番プリミティブな民―日本人は基本的に海の民、移動する民族だと思っているのですが―、そういう人たちが一番ダメージを受けたというのを、僕は今回特に意識した点です。
海の民というのは僕が言っていることじゃなくて網野善彦さんや、古くは『漢書』地理誌や魏志倭人伝でも、倭人というのは朝鮮半島からやってきて、海のスペシャリストで、誰も倭人にはかなわないと言っている。僕たちは、その倭人の後裔です。たとえば、『日本縄文石器時代食料総説』(酒詰 仲男 (著) 1961)によると、縄文時代、倭人が活躍していた時代に何を食べていたかなどが全部復元できている。貝が350種類、魚が71種類、他にもタコとか、イカとか全て分類されてわかっているんです。哺乳類や鳥もあるんですけど、圧倒的に海の幸が多い。だから、縄文時代は基本的に海洋民族である、倭人の延長線上の日本人が、いかに海のものに依拠して暮らしていたかという例です。

鷲田:日本人が定住社会になったのは、ある意味農業が社会の基幹産業というか営みであるという仕組みが作られてからですよね。

植島:そうそう。だから定住社会=農耕社会というのは正しくなくて、日本人はほとんど海を舞台にして生きてきた民族なんですよね。

日本とは何か

鷲田:網野善彦さんの『日本とは何か』でわれわれは衝撃的な地図に出会いますよね。日本海、朝鮮半島、その上にロシアがあるという見慣れた地図の天地を逆にして、ロシアの上に日本があるという地図ね。そう見ると、日本って本当にユーラシア大陸の先端の岬に見えるんですよね。あれを見たときに、日本社会にとって、いかに海とのなりわい、海との交通がいかに重用だったかということがわかります。

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植島:食べ物が海のものが中心だったということは、縄文からずっと証明されていて、その影響が今のわれわれの生活にまでつながっている。

鷲田:面白いなあ。ちょっと話がそれてきますが、ファッション論を熱心にやっていたときにね、日本のファッションの歴史をずっと見てきたときに面白かったのが、農業が発生したとき、つまり縄文から弥生に変わってから明治の最初までの間はね、装飾品からピアスが消えたんですよね。それこそ昔の遺跡などを見たら、どうやって通したんだろうと思うくらい太いピアスなどの装飾品がいっぱい出てくるんですよね、でも弥生時代からそれがだんだん消えていって、平安朝から完全に消えて、アウトローの人以外はしなくなった。

植島:刺青もそうですよね。

鷲田:そう。で、そもそも金属とか、鉱石を身につけるという習慣がなくなって、素材はべっ甲か木だけになったんです。それが明治にイヤリングが入ってきて、1980年代にピアスが流行して、また穴を開けるようになった。その間はながかったんですね。

植島:それはまったく食べ物とパラレルな関係ですね。

鷲田:食事の禁止とか、タブーの問題ですよね。

植島:3.11に東日本を襲ったという言い方をするけど、海の民である日本人の核心部分が襲われたという感じを僕はするわけです。石巻、釜石など、とても気の毒な状況になったことが、僕らの心の一番中心部に届いてきている。そんな気がします。

鷲田:
ちょっとだけ留保させてもらっていいですか。ただね、ある意味では農業が、漁業がという図式とちょっと現代は違うかなと思うんですよね。今回、原発の問題なんかがあって、港に家のあった人が移住してしまおうか、とどまろうか、被災者の方たちの間でもいろんな激しいディスカッションもあるけど、やっぱり漁港の人たちっていうのは、住むには厳しすぎる条件の中で、漁業を生業にしてやってきた。その先祖伝来の土地をそんな簡単に捨てられるかという思いもあると思うんですね。
逆に東京の方は、完全に移動民族じゃないですか。収入に応じてマンションや住宅をこころころかわっていって、家が不動産ではなく動産になっている。また、住居のパターンが同じですよね。日本には単身者から核家族から大家族からいろんな家族な家族の形態があるのにね。それは、売ることを考えるからですよね。一番売りやすい、標準的なカタチの家。だから本当に植島さんがおっしゃるような「心根につきさすような」という意味での移動(する民族)と一足飛びに一緒にできないような、お金の論理の移動みたいなね、つまりより大きく、高級なところへと移り住むような移動の現状があって、それは逆に都市を住みにくくしているんじゃないかと思うんですよね。

植島:そうかもしれませんね。

鷲田:むかしは反論しなかったけど、ちょっと反論するようになったでしょ。

植島:あはは・・・。鷲田さんはよくしゃべるからね。
ではここで、ちょっと松原豊さんが震災以降に東北で撮ってこられた写真をいくつか見たいと思います。
(スライド)


災害とどう向き合うのか

鷲田:(写真を見て)傷ついているのは人間が作ったものばかりですね。多分、写真を撮られてから数ヶ月後には、雑草がいっぱい生えて緑のじゅうたんができているところもあったんじゃないかな。丁度敗戦のときに何人かの詩人が書いていましたが、「なんでこの日に空が晴れてるんだ」「おかしいんじゃないか」ということを書いた詩人もいたけど、なんか、そういう「こんな日でも晴れる」っていう詩を思い出しましたね。

植島:鷲田さんの専門だけど、自然ってギリシャ語でピュシス(physis)ですね。ピュシスって「人間がいる世界」というニュアンスで使われてきましたよね。人間と自然を分けて考えるんじゃなくて、人間も自然と一体化されていてピュシスっていう。じゃあ、自然の反意語は何かというと、古代ギリシャとかローマとかでは人間じゃなくて、超自然の悪意(?)ここでいう災害とかをさして使われていた。一部はめちゃめちゃにされても、一緒に住んでいる世界なんだということを写真を拝見して思いましたね。

鷲田:今回のことで、本当に無数の方がショックを受けられたと思いますけれども、どういうことなんだろうと気になっていることが二つあるんですね。一つは京都でアートの集会があったときのことです。一人の福島の方が立ち上がられて、「どうしてすぐに子供たちを疎開させてくれなかったんですか?太平洋戦争のときには、都会の子はみな、すぐに疎開できたのに」とおっしゃったんですよね。
もう一つは、ノンフィクションライターの最相葉月さんが被災地を取材されたときのお話です。被災地では、各県が心のケアセンターをやっていて、彼女は今回、兵庫県のチームを取材していました。兵庫県のお医者さんとか、臨床心理師とか、さすがという感じで、活動されていたと聞いていたのですが、彼女が避難所を回られたときにね、張り紙がしてあっったんですって。その張り紙は「心のケアお断り」って書かれていたというんですね。それを聞いたときに、グサッときたというか、エエッ!と思ったんです。
いきなりそんな質問して申し訳ないけど、どういうことだと植島さんは思いますか。僕もいろいろ考えているんですけど、まだなんか自分のなかで・・・。

心のケア――阪神・淡路大震災から東北へ (講談社現代新書)心のケア――阪神・淡路大震災から東北へ (講談社現代新書)
(2011/09/16)
加藤 寛、最相 葉月 他

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植島:災害とか、たとえば死の問題、そういうものに対面したときに、日本人というかわれわれがどういう対処をするかっていうとね、たとえば、宗教はだいたい必然と考えるんです。どんなことがあっても必然と説いている。だって、僕らは偶然だって言い方もしますけど、一人の努力じゃ追いつかないことがいくらでもあるんです。この世の中には。そういうときに、たとえば因果関係で、車が超スピードできたからうちの子が跳ねられたとか、そういうことを言っていても仕方がなくって、納得ができない。たとえば7歳で子供が亡くなった、あるいは80歳過ぎまで生きましたという場合、世の中は不平等だっていう人もいるけど、宗教はそこで正直に説明する。寿命とか長命とか、天命とかそういう言葉を出してきて、それは皆必然性のあることであって、7歳で死んだ子より80歳まで生きた人の方が幸せだとは限らない。僕はそういう説明のしかたしか無いと思うんですよ。自分が被害者になった経験があればわかると思うんですけど、人を責めたり、理由や因果関係を聞かされても、あまりそのことで慰めにならない。交通事故はあるけど、どうしてうちの子がっていうところは説明がつかない。

鷲田:なんで私がこんな病気にとか、なんで私ばっかりとかね。

植島:それも同じでね、そんな時に、これは必然的なことなんだというところからスタートするのが、宗教の論理というか考え方で、そっからしか人は立ち上がってこれないと思うんですよね。

鷲田:でも植島さんは最近「偶然の力」とか、逆の偶然ということにすごくいろんな書き物をされていますよね。それは?

植島:僕は世の中のことは全部偶然であるべきだと思うけど、まったく正反対の見方や考え方で人が救われるんだったら、そう簡単には否定できない。人は死んだら三つしか考え方の方法がなくて、一つは「無になってしまう」、若い頃は皆そう考えるんです。年取ったら、これでおしまいだでは納得できないから、「来世がある」と考える。魂は死なないから、3つ目は「転生する」どんどん輪廻転生する。この3つの考え方しかない。でもこないだ矢作直樹さんという東大の救命救急医療のトップの方が、「人は死なない」というようなことをおっしゃっていて、ビックリしました。医者がこういうこと言っていいんだろうかと思ったんだけど、それは体が死んでも、魂は残るとうことなんでしょうね。成仏するという考え方もそこにあると思うんですけど。

人は死なない-ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索-人は死なない-ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索-
(2011/08/25)
矢作 直樹

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鷲田:私が最初から言葉のことにこだわっているのも、今植島さんがおっしゃった、必然というか、納得がね、どういう思考過程でおこるかっていうことで、それぞれがそれぞれに、何らかの形で納得する、納得しなおすということがね、そのプロセスがみなそれぞれのカタチで背負っているというところなんですね。
人間て、「自分はこういう人間だ、こういう存在だ」「俺はどうあがいてもこんな俺でしかない」と思っているわけですが、それも一つの納得だと思うんですよね。その時にいろんな納得する過程があって、人生のなかで自分は誰の子かという出生の問題、自分は男か女かという性の問題。あと、仕事ですよね。自分は何をする者か、これが多分自分はこういう者だと語るときのベーシックな作業だと思うんですよ。もちろんそれ以外にもいろいろありますよ。でも今回の震災できついのは、性のことは別にして、やっぱり家族を亡くした、親を亡くした、子供を亡くした、それと、仕事もしくは職場が無くなった、その二つを合わせた形で地域に帰れなくなった、故郷を無くしたというのもあると思うけど、そういういわゆるアイデンティティという、自分の存在の納得のいく一番基本的なものが欠落した、損失したケースがものすごくあって、みなある意味で「今まで俺はこんなだった」と語る物語をそのまま維持できなくなってしまった。も一回自分はこういう者なんだっていう、納得のやりなおしをする、それを私は今回語り直しっていう風に言ってたんだけど、そういうことって、ものすごくしんどい課題として、あるんじゃないですかね。変わるということは、ある意味自分のこれまでのことを否定もしないといけない。

死について

植島:子供が暗いところを怖がって「明かりをつけっぱなしにしといて」とか、「自分が寝てから消して」って言うじゃないですか。

鷲田:僕、震災以降、今もそうですよ。部屋の電気をつけとかないと寝られない。

植島:あ、震災以降ね(笑)。いや、僕そういう感性ってすごく大切で、それを取り上げたほうがいいと思うんですよ。

鷲田:誉めてくれてるの?

植島:あはは。そうですよ。僕はそれ、すごく大切なことだと思うんですよね。死の問題については、僕はこう考えているんです。地球上の生き物で死ぬ生き物はほんのちょっとなんです。たとえばこの地球上の大部分を占めている単細胞生物なんかは皆、分裂していくだけ。同じ遺伝子構造を持ったものが、分裂して増えていく。だから死なないんです。死ぬことになった原因はSEX、性別ができたことですね。二つの性によって子供が生まれるというシステムができて以来、死が導入されたんですよ。それまでは死はこの世に存在しなかった。これは僕が言っていることじゃなくて、いろんな科学者が言っている。だから僕は死が導入されたってことは、決してマイナスではないはずだと。

鷲田:もう一つ第二段階で導入されていることがあるじゃないですか。人間以外の多細胞動物は、生殖能力を失ったら即死ぬじゃないですか。死と生殖能力の終焉って一緒だけど、人間だけが生殖能力が無くなっても、それからの人生の期間はまだあって、それがどんどん現役のときとあまり変わらないくらい長くなってきている。

植島:女性で90歳近くなってきていますから。

鷲田:そこの違いって何なんですか。

植島:両親とも違う遺伝子コードを持ってくるわけですから多様性が生まれる。たとえばミトコンドリアなんて、一つの生物が死ぬようなことがおこっちゃったら、全部死んじゃうわけで、人間や多細胞生物は生物種が死なないそういう防御システムを持つわけです。でもそのために死が導入されたということは、絶対それは普通に考えたらマイナスなことじゃないと思う。理屈ではね。ただ、人間死ぬことは誰でも知っているけど、なぜ自分が、とか、なぜうちの子がとなると問題が違ってくるんでしょうけどね。
アポトーシスっていうでしょ。生まれる前は、かえるの水かきみたいのがあって、それがどんどんなくなってくる。こういうのも小さな死です。また福岡伸一さんが『生物と無生物のあいだ』で、人間ていうのは3日か4日で全細胞が一度死んで再生するというようなことを書いていたでしょ。だから日々刻々と死んでいるわけです。その中で一番重要な脳とか心臓とかそういった器官がおかしくなったときにわれわれはショックを受けるわけですけど、日常の中で生きるということには、死ぬことの危険が含まれていると思うんですよね。

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)
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福岡 伸一

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鷲田:植島さんが調査・研究されている宗教の儀礼とか祭礼がありますが、祭りってそういうところがあって、たとえば祭りは本業の時間はとられるし、結構大変なのにずっと守り続けてる。それとちょっと・・・

植島:関係あるでしょうね。祭りは象徴的に生まれて死ぬ儀礼ですから。人間は誰かが死なないと次の世代に受け継がれないという生存構造を持っているわけだから、そのへんをあながち不幸であるとか、宿命であるとか思わないほうが、いいと思うんです。
僕も最近ちょっと暗闇が怖くて、去年ね、僕の一番近い二人が亡くなったので、家には一人になってしまった。2階建ての家に住んでいるんですけど、1階に降りてくるとすごく怖い。こんなの50年ぶりぐらいの感覚ですよ。少し人並みになってきたかな(笑)

鷲田:植島さん、そろそろ宗教人類学者じゃなくて、宗教家になってきたんじゃない。直球で「必然」とかおっしゃるのを聞いてね。

植島:なんでもできるってことを鷲田さんに示したいと思っただけですよ(笑)

鷲田:口が悪い!(笑)

臨床哲学と宗教学

鷲田:自分の話しで恐縮ですが、私は9月からちょっとラクになりました。8月までこういうところでは自由に話すより前に、大学を代表して挨拶するということばっかりでした。特に最後の半年は、震災のことに触れないでいられない。でもものすごく語るのが辛かったんですよ。正直なところね。でも僕はその語り辛かったってことを、やっぱり正面から受け止めないとあかんと思ったんです。語りにくいって、いろんな理由がありますね。一番の理由はさっき言ったみたいに、非常に広域で災害がおこったから、地域によって、その人のおかれた境遇によって、被災の状況に差が出てきているっていう中で、何か典型のような災害について語ると必ず別の人を傷つけるから語れない。二つ目は、元々地理的に離れているから、「自分は何もできないんだけど」という思いがあるし、そんな勝手なことを言ったら申し訳ないという思いもあった。三番目に、これが一番大きい問題だと思うんだけど、被災された方に「頑張ってください」とか、「大丈夫ですか」とか、「何かお困りのことはありませんか」という問いがものすごく虚しいというか、被災された方を逆に傷つけることになってしまうんですよね。
「あなたの気持ちはわかります」というと、そんな簡単にわかられてたまるかというのが本当の思いだろうし、「お困りのことはありますか」というのは、支援の方はよく言われると思いますし、マニュアルにも書いてあるけど、「そんなん、困っているに決まっているじゃないか」というのが表情に出てくるし、「大丈夫ですか」といっても、大丈夫であるはずがないという想いがあるし、頑張ってくださいと絞りだすように言っても、これ以上、どう頑張るんだという想いがあると思うんです。だからそういう何気ない思いも、言葉自体も傷つけてしまうかもしれない。だから言葉が出てこない。
でもさっき最相さんの話をしましたが、兵庫のチームは見事なまでに、一切しゃべらなかったそうです。たとえば、テーブルが汚れていたら、気づかないうちにさっと拭くというような。そういった支援をずっとされたそうです。
そして、語りにくさの最後は、特に原発のことなんかになると、自分も共犯者みたいなところがあるでしょ。だって、反原発の学者さんの意見はこれまでもずっとあったわけだし、チェルノブイリの事故も知っているわけです。でも僕たちは都合の良い、ラクな情報の方に流れてきた。皆、自分も原発のことを糾弾する資格なんてないという思いがどこかにあって、そういういろんな語りづらさがあって、発言しにくかった。でも、現時点で思っているのは、この語りづらさを克服しないとあかんと思っている。語りづらいといって黙っていたら、一億総懺悔で終わってしまう。結局何も変わらないし、そういう意味では、この半年、自分が語り辛かった、語りにくかったということ自体をちゃんと語りだせるようにしたいなって。

植島:それがまあ、鷲田さんですね。言葉とか身体の反応とか、そういった微細な反応を見逃さないようにしようっていう哲学者は今までいなかった。カントとかヘーゲルとかやる人はいるけど。その姿勢を正面からやろうとすると、本当にしんどいだろうなと思いますね。
僕はね、さっきから言っているように、死に対する捉え方が一方的すぎたんじゃないかとか、人に対して優しくするってどういうことかもう1回考え直してみようとかじゃなくて、もっと外側から前に進む道はないかっていうことで考えていきたい。日本人のそもそもの体質はどうだったのかとか、歴史学だとかいろんなものを使って再現して、対応していきたい。

鷲田:さっきの兵庫県のチームの話の中で考えさせられたのですが、リーダーの方は昔から知っている精神科医の方なんです。チームはとにかく2~3日でメンバーを変える。毎晩飲み会をする。気持ちを1日1回、皆でチェンジする。それと、できるだけ小さいことを、細く長く続けるということをされたそうです。

植島:それは全てにあてはまるようなことですね。鷲田さんが震災後1ヶ月くらいですぐに朝日新聞に一面を使って書いたでしょ。

鷲田:三ヶ月です。「あれから三ヶ月」というタイトルです。(*2011.6.11朝日新聞朝刊)


植島:あれが最も読ませる文章だったんじゃないですか。
今回の震災で、海外から日本人はすごく誉められました。たとえば、パニックにならなかったとか、コンビニを襲わなかったとか、それだけじゃなくて、皆で協力しようとしたとか、泣き叫んでいるだけじゃなくて、ちゃんと周りに対しても思いやりを示していたとか。ぼくは世界100カ国以上回っているけど、こんな国民はいないですよ。本当にすごいなと思います。それが今回世界中に報道されたけど、それはね、宗教がほとんど無いに等しい状態で、今日まで来て、いろんなものを失ってきて、いろんな意味で西洋化してきたけど、われわれの心の中に、ほとんど残っている。それがやっぱりすごいなと思います。
支援にしても世界中からあっという間にお金が集まってきたというのは、日本が今まで国連なんかを通じて、世界中の災害を援助してきたっていうのもあると思いますが、そうじゃなくて、日本を救えキャンペーンっていうのがすごかったと思う。他の国ではありえないくらいの広がりを見せたと思う。ちょっと今回はもっとちゃんと評価すべきかなと思います。

鷲田:さっき、外国人がこれほど災害の多い国は無いということをおっしゃっていたという話と、どうしてこういうことができるのか、ありうるのかって賛嘆するっていう今の話が裏表になっていますね。

植島:うん。あまりいい言葉じゃないけど、「あきらめる」っていうね。たとえば財布を落としていつまでもくよくよする人もいるけど、日本人の体質ってわりと、すっとあきらめるっていうことがあるじゃないですか。僕はすぐあきらめますけどね。悪いことがおこったら、僕は5分で忘れるようにしてるんだけど、われわれはそういったことをちょっとインプットされてるんじゃないかと。

鷲田:その神戸の精神科医の方がまさにそうなんですよね。被災地で語りたくても語れない人、パニックにある人をずっとケアされている中で、毎日一回シャットダウンするとおっしゃっていました。震災とは関係なく、普段のカウンセリングなんかでも、ちゃんとアースをつけておかないと、もたないって言っておられた。患者さんのことはちゃんとキャッチするんですよ。ちゃんとキャッチするんだけど、アースですっと地中に流してしまわないと、自分が今度はもたなくなる。被災地へも彼らは自己完結の調達型で、一切世話にならないような装備でワゴンに乗って行くんですが、メンバー全員その人たち皆で毎日、晩は宴会をすると。そして2~3日で疲弊する前に交代するというカタチで、細くずっと持続することが一番大事だと。それは植島さんの言う「あきらめる」ということで、それが実はホンとの意味での存在の健康ということかもしれないですね。

植島:鷲田さんと共通の学生で、西川君という看護師がいますけど、彼が看護師をやっていたときに言っていたのは、いろんな相談を受けるけど、聞いた瞬間に忘れるって言ってましたね。それはすごく大事なことだと。精神科医の友達も言っていましたが、精神科医って、一番言いたくない話をするところで、それを聞いて、やっぱり聞いた瞬間に忘れるって。さっきのあきらめるもそうだけど、マイナスのように見えて、実はプラスの力なんですよね。

鷲田:そういえば西川君に質問したことがあるんですよ。自分の親の介護の問題があったときに、彼に良い施設と良くない施設を見分け方を聞いたら、彼は一発で答えてくれて、「大声がするところはダメ、声がしないところはOK」。どうしてかって言うと、大声というのはスタッフのことなんですが、「●●さんちょっと手伝って~」とかいう声が聞こえるのはダメなんですって。

植島:へえ、良さそうに感じますが。

鷲田:いやいや、静かな施設というのは偶然がおこりやすい。例えば入所者の人が、固まってしまって、煮詰まってしまっているときに、保健師さんとかがいろいろやるんですけどダメ。そういうときに、なぜか不思議に車椅子の別のおばあちゃんが、全然別の話題で、たとえば「ごはんよ~」とか言って通りがかったりするという形で氷解してしまうんですって。そういう本当に細かい偶然が、おこりやすい施設がいいんだっていうんですよ。最初は意味がわからなかったけど、実際に親父なんかも入所させてもらったら、ほんとにそうだなと。不思議な偶然が小さな積み重ねでおこるんですよね。その偶然は本当に言語化するのは難しいんだけど。
僕は教育っていうのもそういうことだと思っているんです。「教育」っていう言葉はすごく悪いなと思っていて、何か保護する人が保護されるとか、何か育てるとか教えるとかじゃなくて、僕は、ある空間に子供を置いておいたら勝手に育つという、そういう空間を作ることが、教育の仕事じゃないかなと思っているんですね。介護施設と同じようなことがいえるんじゃないかなと思っているんですよ、「コラ!こういうことしたらアカン」とかができなくても。けんかもいろいろあるけど、なんとなく勝手に育っていくというかね。

植島:僕はね、やっぱり、宗教を何とかしたい。ただ、宗教って●●教とか、いろんな新興宗教があって、すごく汚れた言葉っていう印象がついている。まあ、明治に入ってきた言葉ですからね、それまでは信仰っていう言葉はあったけど、宗教っていう言葉はなくて、宗教という言葉に付随して、やはり明治に入ってきたのが、一神教的なわりと独善的なものがたくさん入ってきたんで、一つの宗教に入ったら他の宗教を毛嫌いする。でもエチオピアでもアルメニアでも、皆、他の宗教とも仲良くしているところはたくさんあって、ネパールなんかもね。
日本の場合、戦後というか明治以来、さんざん宗教が弾圧されて、行政の側からぐちゃぐちゃにされたから、皆、抵抗を持ってしまったけど、なんとかできないかなと思っています。平常のときには、なかなかそういうことを思う人はいないけど、災害とか、自分の身に切羽詰ったことがあったときに、ちょっとそういうことを考えられるチャンスっていうかね、チャンスというと言葉が悪いかもしれませんが、なんかもうちょっと考えてみようということにならないかなと思うわけです。

鷲田:僕も宗教家の人とちょっとお話しする機会があったときに聞いたお話で、面白かったのが、今回本当の意味で宗教者で活躍したのは、皮肉なことに檀家さんとかそういう人ときっちりやっている人ではなくて、自分の職業と関係の無い、いろんなネットワークを持っている人、遊びとか趣味とか、文化人のつながりとか、お寺とは全然関係のないネットワークをたくさん持っている人ほど、行動が早かったし、俊敏だったし、効果も上がったって。そこでお寺さんの実力が出て、逆に教団的な、一つ物事を決めるのにも、ものすごいステップがあるんじゃなくて、個人でネットワークを持っている人はこうだと決めたらパパっと動けてね。だから宗教以外のネットワークをどれだけ持っているかが、その人の実力を決めたといってましたね。

植島:そりゃ学者でも何でもそうです。宗教者はその最たるものですよね。

鷲田:もう一つ、男女の話がありましたが、いわゆるお寺さんって説教されるじゃないですか。教義を解釈したりなんかして、で、そういうところで講演なんかをしたりすると、経典の話なんて一切していないのに、『先生はこの経典のここのところを、どう解釈しますか』と聞かれたりするんですよね。そんなん勉強したことないからわかりませんと困っていうしかないんです。で、昔ね、ケアのことをいろいろと考えて、尼寺に行ったことがあったんですね。おばあさんの尼さんとちょっとお話しさせてもらったときに、「うちの宗派はやっぱり男の坊さんが完全に支配力を持っていて、私らは一段下だから、お世話とかするだけで、何にも主張しない」とおっしゃっていたけど、お経のことに関してはね、頭から意味なんてわかりませんとおっしゃっていました。自分を育ててくれた尼さんに、とにかく西見てお経を唱えなさいと言われただけで、意味なんて全然わからないと。でも、その方には全部を包んでくれはるような温かい感じがあったんですね。

植島:お経って基本的にスラングですから、業界の人しか知らないわけです。僕は知る必要はあるけど、一般的には知る必要がないですからね、その温かさの方はちょっと大事で、だってブッダの言葉とか、普通の言葉で普通の話しをしているわけですから。

鷲田:哲学もそう。ソクラテスって一冊も本を書いてないけど、プラトンが全部書き起こして、それも普通の言葉しかないわけですよ。超越論的とか形而上学とか、そんな言葉は一切ないです。

植島:でもそればっかりやってきたんでしょ?鷲田さんは。

鷲田:うん。(笑)

植島:時間なんですけど、なんか言い残したことありますか?(笑)

鷲田:あの、植島さんも大きく育たれたなと。今日はじんときました。温かく見守ってきたけど(笑)

植島:あはは・・・まあ、これを機会にね、あと2ヶ月で3.11になりますけど、皆さんと一緒にまた考えて行きたい。ありがとうございました。

<メモ>
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