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ウブドには何がある?01★TP017
2008/07/16 00:08 [Wed]
category:Time & Place
ウブド

さて、ウブド。数多あるバリ島本、サイトでは「ウブッ」、「ウブドゥ」と記載されているものもあるが当ブログではウブドとする。
個人的にもバリ島ではウブドを拠点にして移動するのだけど、バリ島が好きという人でウブドが嫌いという人はいないんじゃないかと思う。行くたびに新しい店ができていて、風景も微妙に変わっている。つまり、それだけ日々観光化が進んでいるわけなんだけど、それでもなおウブドが心地いいのはなぜか?

騒がしいデンパサールからもそれほど離れていないのに、ウブドに来るとバリ島の他の地域とは一味違う、安らぎや満ち足りた感覚があるのはなぜなんだろうか?ということをさぐってみようと思う。美味しいレストラン、田園を望むホテル、マッサージ、クタやサヌールよりも安い宿、そんなものは人が集まってくるからこそ。


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アジアン家具雑貨ナムチェバザール

芸術家村?
ウブドは芸術家村として観光客に知られるようになったのは1930年代以降。1920年代後半~ヴァルター・シュピースやルドルフ・ボネがアトリエを構え、欧米の芸術家や研究者のサロン的地域となり、後日彼らが紹介したことを発端に、バリガイドなどに紹介されていったことによるところが大きいと思う。

で、なぜウブドにアトリエを構えたか?

この二人の西洋人芸術家を招いたのが、ウブドの領主だったチョコルド・グデ・ラコー・スカワティである。彼ら西洋人にこのバリ人はパトロンとして振る舞い、土地を与えて家を建てることを許した。~(中略)~チョコルド・グデ・ラコー・スカワティは、バリを代表する植民地エリートであった。~(中略)~シュピースがラコー・スカワティを知るようになったのも植民地エリートだったことと無縁ではない。ラコー・スカワティは、同じ植民地エリートとして、人足早く植民地統治を経験していたジャワのスラカルタやジョクジャカルタの王宮の人々と面識があった。シュピースは、その王宮の一つで西洋音楽を教えていたのである。確かに、シュピースは美しい棚田が広がるウブドの景色や人々を愛したにちがいない。それとともに彼は、植民地という政治空間がつくりあげたエリートたちの横のつながりを伝ってバリにたどりつき、エリートの懇意でバリの生活を保証されていたのである。(永渕康之著 『バリ島 (講談社現代新書)』 )


シュピースやボネがウブドで芸術集団を作ったことは過去記事(116歳のアーティスト★Movie014)でも書いたことがあるが、そのことからもわかるように、彼らが入る以前からウブドやその周辺はバリ芸術の中心だったのだ。

いつから芸術の中心?

ギャニアール(Gianyar)県に属するウブドが今日のバリ芸術のメッカになっているのは歴史上の経緯がある。オランダ(蘭印政庁)がバリ島に進出してきた際にギャニアール王国はオランダと同盟し他の王国を滅ぼしたという芳しくない過去がある。この結果、ギャニアール国はオランダ治世下でも旧体制の延長が許容された。
滅ぼされた王国、生き延びた他の王国では国王とは名ばかりでオランダに権力はもとより権威も富も奪われた。このため芸術や工芸品の職人はスポンサーをなくし、ギャニアール国へ移住を余儀なくされた結果、ウブドがバリ文化の中心地となった。(大槻重之著「インドネシア専科」)


オランダが初めてバリに進入してきたのが1846年。当時バリ島は8王国に分かれていたが、まず北部の王国がオランダ領東インド諸島政府の直接支配下に。その後、オランダは徐々に支配体制を広げ、中にはオランダへの降伏を拒み「ププタン」を決行するラジャ(王)もいた。完全にオランダ統治下となったのは1910年。

なぜ職人が集まったのか?
植民地化の経緯やププタンについては、別の機会に書いてみたいが、要するにそれ以前はウブドに職人・芸術家が集中していたわけではなかったということらしい。
8王国のうちで、オランダと同盟したのがギャニアールだけだったのかどうか、正確なところがまだ分からないのだけど、当時、ギャニアール以外に、職人が移住できたところはなかったのか?という疑問もあるにせよ、逆にギャニアール地域に、今、世界中から観光客を引付けているように、当時の職人を引付ける何かがあったんじゃないかという仮説も立つ。

人を引付ける土地?
個人的に、その土地自体が持っている何かがあって、時代の中でその上に乗る図柄が変わっても、土地自体は変わらずその何かを持ち続けるという場所に惹かれるので、そういった視点でウブドには何があるかを追ってみたいのだけど、さらに時代をさかのぼることになるので、今回はこのへんにしておきたい。
つまり、たとえば、マジャパイト王国侵略以前にあった、バリ島最古の王国と言われているぺジェン王国の王宮は、今、ウブドといわれているところにほど近いぺジェン村にあったとか・・・そういうところ。ブログを書くたびに自分への課題が増えていくのだけど、また追い追い。う~ん深みにはまっていきそう。

goagajah.jpg

ゴア・ガジャ遺跡
イエ・プル

イエ・プル遺跡
penataran_sasih_01.jpg

プナタラン・サシー寺院
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タグ : バリ島 ウブド ヴァルター・シュピース 植民地

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