アジアの好奇心~KajengKliwon
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ジオラマ論★Book014
2008/07/23 17:20 [Wed]
category:Book
ということで、前回の続き。なぜ、人、モノ、時間、空間繋がりが希薄になってしまったかを考える上でのヒントあるいはバイブル(その1)。

ジオラマ論
ジオラマ論 ― 「博物館」から「南島」 DIORAMA TRANSFIXION 1435-2020
伊藤俊治著/ リブロポート/1986年/絶版
※[ミル・ブックス]にて取り扱い有 3,150円

19世紀における機械文明の発達が人間の知覚、そして無意識と感性をどう変えたか・・・。

おそらく19世紀とは有史以来初めて、実際の地表に人間の手によって大きな変化がもたらされた世紀なのだ。運河、鉄道網、トンネル、橋、道路・・・こうした交通網は地上のあらゆる地形の意味を本質的に変えてしまった。地球全体がピトレスクなコントロールがおよぼされうる場所となり、ジオラマと化していったのだ。さらに情報網、複製技術、保存手段といった19世紀に驚異的に進展した三つの文明の成果は、日常生活のあらゆるレベルに浸透し、人間の意識の変革をもたらしてゆく。(本書あとがきより)


20世紀(今や21世紀だけど)の感性を用意した、19世紀以降の「ジオラマ」的認識を装置の発展史とイメージ空間から辿る。また、その先を超えるヒントをバリ島の知覚に求める(?)、5章「南島論、バリ、ヌレックアイランド」が個人的にヘビーリーディング箇所。バリについての断片的な言及は、NY自然史博物館のバリ・セクションから始まり、空間(地理)、時間(歴史)、信仰の形等々を、フィールドワークと専門知識で織り上げた儚く美しい織物のよう。

また、「ヌレック」とは当ブログでも何度も取り上げてきているが、バリ島の儀礼でたびたび起こるトランス状態のこと。

誤解を恐れずにいえば、バリの人はみな流動的な波打つ分裂病者なのである。しかしトランス・ダンスの例のように彼らの狂気は固執せずに流れる。~(中略)~狂気の型は一定していて、人々はみなその型を知っている。心を傷つけられたり、愛情を失ったりしたものは、その型にあわせて狂気へ入り込めばいい。そうすれば人々は彼の精神の危機に注目してくれる。どんな世界であれ、ともに生きる者の注目こそ、何にもましてその人間の危機を救うものだ。人間のなかの化学作用に最も直接的な影響を及ぼすものは他者の存在であり、他者が人間に見えないエネルギーを放射する。我々の身体は、他者との関係で自分のなかにどんな感覚が促されているかに緊密にシンクロしているのである。(本書より)

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タグ : バリ島 伊藤俊治 ジオラマ論 19世紀

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