アジアの好奇心~KajengKliwon
アジア(とりわけ島)はなぜ好奇心をかきたてるか?その疑問を追究したいと思います
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エスニック○○とは・・・★TP010
2008/04/19 22:18 [Sat]
category:Time & Place
TP005で書いたバリ島クタのポピーズのオープンは、1973年(1970年代)。その頃、関西のアジアエスニック&裏カルチャーシーンをリードしてきたあの店もオープンしたらしい。KajengKliwon Map 1970 に追加しなきゃ・・・。

1972(昭和47年) ・7月 中津本店 Open
1973(昭和48年) ・12月 梅田地下街店 Open
カンテ・グランデ

NP.jpg
初めて中津店に行ったのは、1980年代中ごろだったと思う。「チャイ」を知ったのもこのお店。アジアに強烈な関心が出始めたのもこの頃だったのかもしれない。カンテ年表によると、1980年には「ラッシー」や「サモサ」もすでにメニューに登場していた。1985年にはアメリカ村店もオープンする。「Nudist Peach(NP)」という服屋も併設していた。

NPは、日本でデザイン、パターンを起こしたものをインドやネパールに持って行って、現地で生地を調達、現地の工場で縫製した服で、ショップではアクセサリーや笑える雑貨もあった。今でこそアジアでのOEMなんて珍しくないけど、当時としてはかなり画期的だったと思う。デザイナーがリアルにパターンを背中に担いでインドやネパールに行ってた。

もちろん、当時からエスニック・ファッション専門店というのもアメリカ村にはあったけど、東南アジア諸国やインドの現地のお土産として売られているようなものをダイレクトに輸入したものばかりだったから、なかなか着こなすのは難しい。NPの服は、もちろんエスニックテイストはあるけど、日本人デザイナーだったこともあり、わりと抵抗無く着れる。正確に覚えていないけれど、映画「ウンタマギルー」で小林薫の衣装として採用されていた。

ウンタマギルー (Wikipedia:ウンタマギルーへ

現地の大胆なプリント生地をさらに染色したシャツやテクスチャーが面白い厚手のコットンのワンピース、どれもかわいかった。イメージを最近のブランドにたとえると、「COCUE」が近い・・・かも。大ファンだったので、NPの服はたくさん持っていたけど、今、手元に残っているのは、上の写真のポーチだけとなってしまった・・・(泣)。粗悪なナイロン製、偽ミッキーとドナルドのプリントが笑える。

飲食と衣料をセットで展開するのも、当時としては画期的だったし、エスニックはあくまでもスタイルの一要素としてさらりとやってる感じが面白かった。
NPはもうないけど、カンテ・グランデは相変わらずの人気。
カンテ・グランデ 中津店
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タグ : 1970年代 カンテ・グランデ NP アジア エスニック チャイ

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